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著作物、コンテンツ、著作者の未来は?
いまやネット上では、さまざまなコンテンツが公開されている。
その中には第3者の著作物を無断で公開してしまっているものもあるが、そういった違法なコンテンツも含めるとネット上では膨大なコンテンツが公開されている。

どれぐらい膨大かというと、僕の近所の図書館で借り出せる以上のテキストがネット上では公開されているはずだ。僕の近所のレンタルビデオやで借りれる以上の映像がネット上では公開されているはずだ。たぶん、そのはずだ。
僕が読めない言語、聞き取れない言語のコンテンツも含めてしまえば、本当に果てしない数のコンテンツがネット上に埋もれているんだと思う。

今日はそんなことを囲うと思っていたのではなく、著作物って大きくは「アート」と「ジャーナリズム」に分かれるなと思ったのです。
で、いま世の中がネット化していく中で先が見えなくなっているのはジャーナリズムのほうだと思う。

ネット化していく中で、アートがどうなっていくかというと、
●アートを公開する敷居は非常に低くなる
 ~アート製作者は多くの人に見てもらいやすくなる
●逆に人々としては、多くのアートを非常に気軽に見れるようになる
●恐らくは、作家と購入者の直接取引、もしくは小規模なエージェントと購入者の直取引が主流になる
 ~レコード会社や出版社・書店などの企業が衰退する
ということはあっても、アートの製作者は収益を得にくくはならないだろうと思う。
それは、どんな取引形態になっても、人々はアートを得るためにお金を払おうとするだろうからだ。
そう、アートはそれだけの吸引力を持っているのだ。

いっぽう、ジャーナリズムはどうだろう?
現在、多くのジャーナリストはテレビや新聞、雑誌などのパッケージメディア化(テレビは正確にはパッケージメディアではないが)されることで、商品化している。そして、その商品は一人の作家(ジャーナリスト)だけによって成立することが非常に稀である。
そして、恐らくはここにジャーナリズムの悲哀がある。

アートは一人の作品が作品として成立し商品化されるのに対して、ジャーナリズムは一人の作品(記事)が作品として成立しにくく商品化されることは非常に稀である。
これはジャーナリストに作家性が弱いことに原因があると思う。

恐らく、ネット化されたこれからの時代にはジャーナリストにも作家性が必要になってくるのだと思う。そして、何百万という読者を抱える新聞社の記者よりも by nameで読みにきてくれる数千人・数万人の読者を持つアルファブロガーのほうが影響力を持ち、収益を得やすくなる時代がもうすぐそこに来ているのだと思う。

そして、これはジャーナリズムとアートの世界だけのことではない。

大手企業のコンサルタントよりもby nameで発注できるコンサルタントというように、すべての専門家には作家性が必要になってくるのかもしれない。
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テーマ:ネット的社会観 - ジャンル:サブカル

【2007/11/07 00:54】 | mucic | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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