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「宣伝費をネット広報にまわせ」戦略的マーケティングのすすめ を読んで
「宣伝費をネット広報にまわせ」戦略的マーケティングのすすめは、時事通信社の湯川鶴章さんが編集者となり、ニューズ・ツーユーの神原さんやネットイヤーの石黒さんといった方々によりネット広報について書かれた本。



構成としては
はじめに 広報が企業の中核に
第1章 ネットPR概論
第2章 最先端ネットPRの実践
第3章 広報に利用できる最新テクノロジー
第4章 未来へのロードマップ
第5章 究極の未来から現在へ
といった形になっていて、各章ごとに執筆者が替わるという構成で、たしかこの1冊でネット広報やネットPRの概念から進め方までが具体的にわかる。

と、ここから本から離れてしまうのですが、、、

自分はWebサイトの企画・制作を主業としているのですが、やはらいWebサイトの構築だけでは完結しにくくなっています。
何らかのコミュニケーションを行うためにWebサイトを作るのだから、コミュニケーション・ターゲットを集客するための広告施策も一緒に考えるということはかならい以前からありました。

でも、最近では、何らかのメッセージを伝えるために、Webコミュニケーション内で話題化したい。そして、話題化によって集客されたユーザーとのコミュニケーションを行いたい。といったお話が多くなっています。
これは、こんな依頼のされ方をすることもあれば、要望や課題を解決するにはこんな手法を取らないと・・・ということもあります。

要はWebコミュニケーションとして
●Webサイト上(だけの)コミュニケーション
●Webサイトへの集客
●Webサイトを基盤としたWeb上でのコミュニケーション
といった3つの要素を期待される(もしくは担う)ことが増えているわけです。


そして、ここまで足を突っ込んでしまうと、「では、御社はWeb上でどんなコミュニケーションを取りたいのですか?Web上でどんなメッセージを伝えていきたいのですか?」といったことも考えなくてはならず、よりコアな部分のマーケティングやブランディングを考えなくてはならない。

大変だなーと思いながらも、楽しいなーと思っています。



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テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:日記

【2009/05/25 06:46】 | 書評 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
青山ロックンロールショー&NHK特番
昨日は清志郎の告別式。
嫁さんと長男が熱を出してしまっていたので、朝から病院に行ってから「悪いな。でも、勘弁してくれ」と思いつつ、もうすぐ5歳になる娘と二人で青山へ。

mixiの清志郎コミュの情報を参考にさせてもらいながら、乃木坂ではなく青山一丁目から参列に並ばせてもらった。15時頃から延々並び、娘がそろそろ限界になりそうな頃・18時頃にようやく斎場へ入ることができた。
aoyama1

斎場の手前から聴こえてくる曲は「Oh!Radio」。
清志郎の遺作になった新曲だ。初めて聴くメロディだけど、なんだか懐かしいようなメロディ。
聴きながら少しずつ列を進んでいくと、「いいことばかりはありゃしない」、斎場に入ると「Oh!Baby」が鳴り響く。嬉しいような泣きたいような変な気分。
記帳所で、列に並んでいる途中でもらってメッセージを書き込んでいた記帳の紙を渡すと、イェーイ!と書かれた清志郎の遺影(イェーイ!)ポストカードをいただく。

aoyama2aoyama3aoyama4



斎場の中もディズニーランドのようにグルグルと列を作って並ぶ。
でも、斎場の中では清志郎の曲を聴けるし、巨大なヒトハタウサギバルーンだって見れる。
早く献花台に行きたいような、この時間をもっとゆっくり長く過ごしたいような気分になりながら、「Lucky Boy」や「自由」や「すべてはAll Right」、「空がまた暗くなる」なんかを聴く。
「エンジェル」が流れた時に、近くで並んでいた恰幅のいい40歳ぐらいの男の人が堪えきれずに目頭を押さえていた。僕もそれにつられて涙をにじます。

献花台の中に入る時と出る時には、献花をいただいたいろんな人の名前が飾られている。
ハリーもいる、電気グルーブもいる、もちろん三浦友和もいるし、ヒロトもマーシーもいる。
栗原竜平と栗原桃代の名前を見て、また涙。。。

献花台の中に入ると、清志郎の遺影が。
aoyama5
自転車やドラムセットなんかも置かれていたし、位牌やお骨も置かれていたらしいのだが、遺影ばかりに目がいってしまい、他のものはあまりちゃんと見れなかった。

最後にもう一度、清志郎と同じ時間を過ごすことができた一日。
自分なりのありがとうの気持ちも置いていくことができたように思う。

しかし、長時間、淡々と列に並んでいる人たちの姿はなんかジンときた。
マスコミでは「熱狂的なファンが葬儀に参列」なんて書かれていたけど、「熱狂的」という感じではなかったよ。みんなひとりひとりが自分の思いを抱きながら、浸りながら淡々と順番を待つ、そんな雰囲気でした。
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いってよかった。いけてよかった。
清志郎に出会えてよかった。好きになれてよかった。


で、先ほどまで見ていたNHKの特番。
こんな番組を見る時は、泣くべきなのかもしれないけど、
僕は清志郎が嬉しそうに歌う様子や、ジャンプする様子を見ていると、本当に嬉しくなって、ニコニコしながらテレビを見てました。久しぶりにテレビを録画しながら。

明日の夜中にもライブを流してくれるらしいし。
明日は忘れないように早く帰ろう。
終電で帰ると間に合わないから、23時には事務所を出ないと。

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【2009/05/11 01:45】 | mucic | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
Rock'nRollの求道者 忌野清志郎
清志郎が亡くなってから、ゴールデンウィークの連休中ということもあって、清志郎のことを考える時間が増えている。
今日もいろいろ思い出したり、考えていて、ふと思ったことを書いておく。

清志郎の曲を聴き返していると、「この人はRockをすごく純粋に信用していたんだろうな」と思うことがある。
IMAGINEをLIVEで弾き語る時に話しているセリフなんかにもそれは表れている。

「John Lennoが生きていたらどう思うんだろう?今の状況を。
ぜんぜん世界は平和にならないじゃないか。戦争がずっと続いている。21世紀になったのに。21世紀になったら世界が平和になると思ったのに、ますますひどくなっている。Yeah!」

たぶん、清志郎は音楽でRockで世界を変えることができるかもしれないと信じていたんだろうし、世界を変えられそうな感触を感じたこともあったんだと思う。

清志郎は子どもが生まれる前後に非常に多作になっている。
三宅伸治だかが、子どもが生まれる直線の清志郎について、「ボスは子どもが生まれると曲が作れなくなるかもしれないと言いながら昼も夜も曲を作り続けている」といったようなコメントをしていた記憶がある。

第一子が生まれる前後の清志郎は、1988年にRCサクセションで「COVERS」「コブラの悩み」を発表。1989年にはTimers名義の「THE TIMERS」を発表。
清志郎のキャリアの中でもより過激でかつ社会性の高い作品はこの時期に発表されているし、活動も派手になっているように思う。

そして、この時期の清志郎の活動に対して社会はダイレクトに反応する。
「COVERS」は発売中止になるし、ラジオでの放送禁止にもなった。これらのことは新聞記事にもなったし、ある種、社会問題化した。
その頃からの清志郎はより社会にコミットするようになっていった。
たぶん、この時に清志郎は歌うことで得られる感触を感じ、Rockの可能性をより強く感じ始めたんだと思う。

そして、忌野清志郎はRock'nRollの求道者になっていったように思う。
後期の20年間は、メディアでの露出も増えたし、他のミュージシャンや表現者との交流も増えた。
社会的なメッセージがこめられた曲も増えたし、メディアから社会的な意見を求められることも増えた。
清志郎もこれに積極的に応えて寡黙ながら発言することも増えたように思う。

と、ここまで書いてきてこんなもの(アルカイダーズのLIVE)を発見。
なんて、無茶でお茶目なんだろう。。。

これ見てたら、とても「求道者」なんて言葉は使えないけど、たぶん、清志郎は死ぬまで自分自身が思い描いていたRockを追い求め、近づこうとあがいていたように思うのです。

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【2009/05/06 02:13】 | mucic | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
忌野清志郎逝く
2009年5月2日午前0時51分、忌野清志郎が亡くなった。
享年58歳。4月2日が誕生日だったはずだから、58歳と1ヶ月か。

僕にとっての忌野清志郎は特別なミュージシャンで、特別な人。
初めてちゃんと聴くようになってから25年ほどが経っているけど、ずっと聴き続けている。
そして、最新作の2作ほどは諸般の事情で買い損ねてしまっているが、常に最新盤も買い、旧作と同じように聴き続けている数少ないミュージシャンだ。
※「昔の○○はよかった」なんてことが多いRockの世界では珍しいことだと思う。


僕が清志郎を知ったのは小学校の高学年か遅くとも中学生の頃のこと。友達が清志郎のファンだったし、テレビなんかでもよく見かけたので、自然に知れる環境にはいた。
でも、あの奇抜なメイクとファッションに惑わされて、中学生の僕は好きになれなかった。

ところが、高校生になってより音楽を積極的に聴くようになると、ちょうど出たばかりだったLive盤・「Tears of a Clown」を聴き、すっかり気に入ってしまった。
それからは、しっかりファーストアルバムの「初期のRCサクセション」から順番に聴いていった。

僕が追いついた頃のRCは事務所の独立や清志郎の病気などが落ち着いて、再始動的な頃だったみたいで、ここからのRCサクセションというか、忌野清志郎はすごく活発に動き出すことになる。

1986年 the TEARS OF a CLOWN
1987年 清志郎の初ソロアルバム「RAZOR SHARP」発表
1988年 RC初の2枚組アルバム「MARVY」発表
1988年 発売中止騒動となった「COVERS」発表
1988年 発売中止騒動をテーマにしたライブ盤「コブラの悩み」発売
1989年 覆面バンド「Timers」活動開始
1990年 RCサクセションの最終アルバム「Baby a Go Go」発表

こうして見ると、いい時代に出会えてよかったと思う。
この頃の清志郎はいろんなユニット作ったり、いろんなミュージシャンのところにゲスト参加したりと、本当に楽しませてくれた。そして、この勢いは癌に倒れるまでの間続いたように思う。

確かに80年初期の破竹の勢いでRCが出てきたところもリアルタイムで見てみたかったけど、ワガママ言ってもしょうがない。
1969年と、僕が生まれた歳にデビューした後期20年はしっかり見ることができたわけだ。

こうやって書きながらも、ずっとYouTubeで見続け聴き続けてるわけだけど、本当に大好きです。
あまりライブに行けなかったことがなんとも心残りです。
ご冥福をお祈りします。

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【2009/05/03 23:26】 | mucic | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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