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スーパーで行われている水の無料サービス
最近、郊外のSCに入った大型スーパーなんかで、水の無料サービスを行っているところが多い。300円ぐらいで水を入れる専用ボトルを購入すると、以降は無料で持参したボトルに水を詰めて持って帰れるというものだ。
これは水を無料提供することで、顧客をリピーター化させるよくある施策なんだと思う。
うちの近辺ではイオンのジャスコがやっている。

そして、最近、近所にできたダイエーでも、この水の無料サービスをやっている。
でも、これは正直、どうかと思う。

というのは、このダイエーは郊外型の店ではなく、典型的な街中の店なのである。
来店者の多くは徒歩や自転車で来ているみたい(僕も徒歩か自転車で行っている)なのだ。

「あの店に行くと水が無料だから」と来店を誘引する。
ここまでは、郊外店でも街中店でも一緒だ。

でも、自動車で来店することが多い郊外店なら荷物が少々多くなっても重くなってもあまり気にせず買い物ができるが、自転車や徒歩で来店する街中店だとそういうわけにはいかない。
1~3リットルの水はそのまま1~3キロになる。そんな重くてかさ張るものを持って帰ることを考えると、そんなにたくさん買い物はできない。
だから、水の無料サービス導入によって顧客単価が下がってしまっている可能性がある。
「水を持って帰るからワインは諦めよう」とか、「ジュースは諦めよう」とか買い控えに繋がりがちだと思うのだ。

街中店の場合は来店頻度をアップする施策を考えればいいのに。
ダイエー、大丈夫か?
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テーマ:マーケティング - ジャンル:ビジネス

【2007/11/25 17:24】 | 市場変化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ワリカンで領収書が切れる飲食店
「ビジネスアイディア」ってほどではないんですが、ワリカンで領収書が切れる飲食店って流行りそうな気がしませんか?

「接待」に厳しい企業や職種が増えているらしいんですが、これで困るのが、仕事で取引先と会食をしているのに経費で飲食代を落としにくいこと。
「取引先を接待しました!」なら領収書を堂々と出せるけど、「取引先と会食しましたがワリカンだったので、私の飲食費です」なら申請しにくいですよね。
おまけに、飲食店で「ワリカンで、領収書も別々で」なんて、言いにくいですよね?

でも、「個別会計分の領収書発行します」ってレジとかに書いてくれていると、気軽にワリカン領収書を頼めるし、そんな店があったらワリカン会食の際は利用しそう。
でも、これじゃビジネスアイディアというよりは、「商売の知恵」レベル。

これをビジネスアイディアまで持っていくなら、領収書発行を機械化しちゃえばいいんだと思う。

レジの代わりに自動販売機みたいなレジがあってそこで領収書をワリカン発行してくれるとか、レジでもらったレシートを通すとワリカン領収書を発行してくれる機械とか、そんなものを開発すればビジネス化も可能かも。

でも、飲食店を営んでいる方は、これからの忘年会シーズンに向けてレジ横に「ワリカン領収書お申し付けください」ってポスターを貼っておくだけでも売り上げアップに繋がるかもよ。

テーマ:ビジネスアイディア - ジャンル:ビジネス

【2007/11/22 03:19】 | Idea | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
エコな地下鉄ホーム広告
前から思っていたのですが、地下鉄構内の壁に等間隔で設置されている電飾広告って、地球温暖化のこの世の中では『電気の無駄遣いをしている』って感じさせるマイナスな広告だと思いませんか?
朝から晩までただ、広告をよりくっきりと見せるという目的のためだけに電気の無駄遣いしてますよね?

ただ、あの環境で普通のポスターを貼っても暗くて目立たないのはよくわかる。
でも、今の技術なら、蓄光式とか反射式とか、電気を使わずに光らせるポスターを作れそうな気がする。
大日本印刷か凸版印刷でこんな印刷技術を開発してくれないかな?
そしたら、地下鉄の広告だけじゃなく、街の電飾広告やビル上の看板なんかも置き換えられるかもしれないし、ここで抑えられる電力って馬鹿にできない量になると思うんだけど。

テーマ:ビジネスアイディア - ジャンル:ビジネス

【2007/11/20 01:59】 | Idea | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
PC販売台数が減っている~ネット観も変わるのか?
最近、ネット利用やOFFICEの一般化などに後押しされて伸び続けていた家庭向けのPC販売代数が減少傾向にあるらしい。

---------引用開始---------
「PCは携帯に取って代わられた」「若者はPCを買うということを選択肢に入れていない」「会社が終わるとPCは触らない」などなど、これまで言われてきたことの集大成なんですが、5四半期連続での出荷台数減少というのはさすがに痛い。
---------引用終了---------
日本でMacが売れない理由PCs Being Pushed Aside in Japan

この原因のひとつとして、『「PCは携帯に取って代わられた」「若者はPCを買うということを選択肢に入れていない」「会社が終わるとPCは触らない」などなど』が理由らしい。
事務職・企画職・営業職などで務める人間が仕事上でPCを使う時間は長くなっていることもあり、OFFの時間はPCを触りたくないという社会人も経験的に増えているように感じる。

では、OFFの時間帯はネットを利用しないのかというと、そういうわけではなく携帯を使ってネット利用をしているようだ。
テレビやWiiなんかの端末でのネット接続もこれからは増えていくだろうから、PCの利用はこれからも減り続けるかもしれない。
近い将来にはPCの利用は仕事上とオタッキーな人だけに限られるといった10年ほど前の姿に戻るのかもしれない。

そうなると、Webサイトの作られ方も変わってくるだろう。
PCよりも携帯やネット家電で見られることを優先してWebサイトが作られだしたら、PCで発展してきたajaxなどを使った動的なインターフェースのあまり使われなくなるかもしれない。
さらに心配なのが、こんな変化が日本独自での変化の場合だ。

日本では海外よりも国内を市場とする企業が多いから、多くのWebサイトは国内のみで通じる仕様で作られてしまう可能性が高い。これは、海外も携帯へシフトしてきても日本国内と海外では携帯電話の仕様が違うから(ですよね?)、日本国内の携帯電話では閲覧できるが、海外仕様の携帯電話では閲覧できないなんてことも増えそうだ。

こんなことになると、情報的な鎖国になってしうまうんじゃないか?とか、ビジネスチャンスが減るんじゃないか?とか、国内と海外双方を市場としたい企業にとってはWebサイト作りのハードルが上がってしまうとか考えてしまう。

あと、Webサイトを作っているデザイナーさんは、いろんなことを覚えなおさないといけないという大変な目に会うんだろうなとも思う。

テーマ:ネット的社会観 - ジャンル:サブカル

【2007/11/20 01:47】 | 市場変化 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
[書評]LOVE 古川日出男
久しぶりに新しい小説、自分が読んだことがなかった新しい作家の小説を読んだ。
昔は間を置くことなく、ひとつの小説を読み終わったら次の小説を読むという感じだったけど、最近は仕事に関連する専門書を読むことが多くなったし、仕事と子どものおかげでゆっくり本を読む時間もあまり取れないということもあり、小説を読む機械が少なくなっている。
そして、これは原因なのか結果なのかよくわからないが、新しい作家に出会うことも減っている。

古川日出男さんの「LOVE」は自転車で20分ほどのところにある図書館で見つけた。

図書館で本を読む最大のメリットは「無料!」ってことだけど、小説なんかを探す際は新刊以外の本がたくさんそろっていることもかなりのメリットだ。
駅前にあるような普通の本屋にいっても単行本が数多く並んでることは少ないし、新刊本や人気作家の本ぐらいしか置いていない。
一方、図書館だと、この逆になる。
新刊本はたいてい誰かに借りられてしまっているし、人気作家の人気本もたいてい誰かに借りられてしまっている。だから、図書館に残っている本は極端に人気が高いというわけでない作家の既刊本が多くを占めていることになる。

そんな図書館の中で僕が古川日出男さんに意識が向いたのは、タイトルとデザインに惹かれたから。

「 サウンドトラック 」「ボディ・アンド・ソウル」「ベルカ、吠えないのか?」「ロックンロール七部作」などなど、気になるタイトルの本がいっぱい、そして、そのデザインがカッコイイものが多いのだ。
そんなわけで、先週の日曜日はたくさんあった古川日出男作品の中からどれを借りるか悩みながら借りたのが「LOVE」だった。

こんなことを書いたら作者やファンの人から怒られそうだけど、「LOVE」を読んでて僕がいちばんワクワクさせられたのは、前の職場だった五反田が数多く出てきて、僕の行動範囲の品川~五反田~渋谷・原宿~青山辺りがこの小説のロケーションになっていたことだった。
まだ、東京に出てきて3年程度でしかない僕にとって、自分の行動範囲だけで完結する同時代小説というのはかなり新鮮だった。
あの川ね、あの道ね、あの店ね、と思うことができるシーンがちょこちょこあったのだ。
でも、これって、ずっと東京の街中に住んでる人にとってはどうってことないことなんだろうな。

作品の感想としては、正直、よくわからない。
面白いところはあったけど、作品にグイグイ引っ張りこまれたというわけではないし、深い感動があったわけでもない。
この小説は時間と場所と登場人物を少しずつ共有しあう短編の塊でできていて、著者はこれを「巨大な短編」と読んでいるのですが、前半はスリリングだったけど途中で少し中だるみしてしまっているような感覚があったし、一気に読みたい!と思わされるようなものでもなかった。

でも、今回読んだことで、僕にとって古川日出男は気になる作家になったので、次はネットで見た感じで古川日出男の代表作らしい「ハル、ハル、ハル」を読んでみようと思っている。
でも、図書館だと代表的な作品は貸し出し中のことが多いんだよなー。

wikipediaの古川日出男紹介

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【2007/11/18 01:36】 | 書評 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
[書評]フラット革命 佐々木 俊尚著
「フラット革命」を読む前に、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」の上のみを読み終わっていた。そんなこともあり、「フラット革命」は「フラット化する世界」と同じようにインターネットによりグローバル経済はどんどん加速していき先進国と後進国とで仕事をシェアすることになっていく、といった内容の本だと思っていた。
しかし、「フラット革命」で書かれている『インターネットによりフラット化されること』は、言論やジャーナリズムにほぼ限られていた。

書籍の良し悪しを判断できるほど、僕はいろいろ知っているわけではないけれど、「フラット革命」で書かれている『フラット化されること』は、「フラット化する世界」で書かれていることに比べると非常に狭い話だと思う。
「フラット革命」を読みながら『この本はインターネットが引き起こす影響についてあまりわかっていない人が読むにはいい本かもしれない』と思い読んでいた。でも、読後感はちょっと違う。

たぶんなのだけど、「フラット革命」はインターネットをメディアとして、言論やジャーナリズムの場としてのメディアとして捉えた観点で書かれている。僕はそこに違和感を感じるし、だから『非常に狭い』と感じたのだと思う。

インターネットが日本で広がっていった時(そして、今も)、インターネットはマスメディア的なものもしくはマスメディアの代替物的な情報発信/受信のメディアとして紹介されることが多かった。
確かに、情報を掲載するためだけに作られていた初期のホームページでは、インターネットは情報発信の場であり、情報受信の場だった。
しかし、今のインターネット利用法は、情報の掲示だけでなく、コミュニティの形成・商品購買・ビジネスマッチング・集合知による知識のストックなどなど、様々な利用のされ方をしており、『インターネット=情報発信/受信の場』とは限定できないものになっている。

なのに、「フラット革命」で書かれているインターネットは、『インターネット=情報発信/受信の場』としての話でしかないのだ。

ここまで書いて自分でもようやくスッキリした。
そうか、僕はだからこの本を読んでいてシックリこなかったんだ。

「フラット化する世界」については、下を読み終わってから(2週間後ぐらいかな?)掲載いたします。


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【2007/11/17 04:13】 | 書評 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Technoratiに登録してみる
まだまだエントリーは少ないけど、Technoratiに登録してみることにしました。

テクノラティプロフィール

今晩は必ずなんか書く!
【2007/11/16 20:57】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
RadioheadとClash
最近、買っていなかったのだが、Radioheadが新しいアルバムをダウンロード販売&サイトでのCD販売を始めた。(Radioheadの公式サイトで買える



バンド自体に売る力があれば、宣伝のためにも流通のためにもレコード会社(売ってるものはCDだけどレコード会社でいいんですよね?)が必要じゃなくなっているということですね。

こんな状況を見ていると、いま、Clashが現役だったらどんなことをしただろう?と想像してしまう。ClashのリーダーだったJoe Strummer(ジョー・ストラマー)なら、レコード会社を通してなら発売できなかった曲も売るだろうし、Radiohead同様客側に値段を付けさしたりもしただろう。ライブの販売なんかも自分でやりそうだし、ここでも値段の付け方は一工夫しそう。

もうClashも20~30年前のバンドになってしまったのだけど、実は最近よく聴いていたりします。



Clashについて詳しく知りたい方はこちら
The Clash

Joe Strummer(ジョー・ストラマー)

テーマ:ネット的社会観 - ジャンル:サブカル

【2007/11/11 04:28】 | mucic | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
著作物、コンテンツ、著作者の未来は?
いまやネット上では、さまざまなコンテンツが公開されている。
その中には第3者の著作物を無断で公開してしまっているものもあるが、そういった違法なコンテンツも含めるとネット上では膨大なコンテンツが公開されている。

どれぐらい膨大かというと、僕の近所の図書館で借り出せる以上のテキストがネット上では公開されているはずだ。僕の近所のレンタルビデオやで借りれる以上の映像がネット上では公開されているはずだ。たぶん、そのはずだ。
僕が読めない言語、聞き取れない言語のコンテンツも含めてしまえば、本当に果てしない数のコンテンツがネット上に埋もれているんだと思う。

今日はそんなことを囲うと思っていたのではなく、著作物って大きくは「アート」と「ジャーナリズム」に分かれるなと思ったのです。
で、いま世の中がネット化していく中で先が見えなくなっているのはジャーナリズムのほうだと思う。

ネット化していく中で、アートがどうなっていくかというと、
●アートを公開する敷居は非常に低くなる
 ~アート製作者は多くの人に見てもらいやすくなる
●逆に人々としては、多くのアートを非常に気軽に見れるようになる
●恐らくは、作家と購入者の直接取引、もしくは小規模なエージェントと購入者の直取引が主流になる
 ~レコード会社や出版社・書店などの企業が衰退する
ということはあっても、アートの製作者は収益を得にくくはならないだろうと思う。
それは、どんな取引形態になっても、人々はアートを得るためにお金を払おうとするだろうからだ。
そう、アートはそれだけの吸引力を持っているのだ。

いっぽう、ジャーナリズムはどうだろう?
現在、多くのジャーナリストはテレビや新聞、雑誌などのパッケージメディア化(テレビは正確にはパッケージメディアではないが)されることで、商品化している。そして、その商品は一人の作家(ジャーナリスト)だけによって成立することが非常に稀である。
そして、恐らくはここにジャーナリズムの悲哀がある。

アートは一人の作品が作品として成立し商品化されるのに対して、ジャーナリズムは一人の作品(記事)が作品として成立しにくく商品化されることは非常に稀である。
これはジャーナリストに作家性が弱いことに原因があると思う。

恐らく、ネット化されたこれからの時代にはジャーナリストにも作家性が必要になってくるのだと思う。そして、何百万という読者を抱える新聞社の記者よりも by nameで読みにきてくれる数千人・数万人の読者を持つアルファブロガーのほうが影響力を持ち、収益を得やすくなる時代がもうすぐそこに来ているのだと思う。

そして、これはジャーナリズムとアートの世界だけのことではない。

大手企業のコンサルタントよりもby nameで発注できるコンサルタントというように、すべての専門家には作家性が必要になってくるのかもしれない。

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【2007/11/07 00:54】 | mucic | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
著作物の収益の得方の変化。そこにはメディアの進化が大きく関わっている
ネット社会になり、著作権という概念が揺らいでいる。
というか、実際は著作権が揺らいでいるのではなく、著作による収益の得方が変化しているのだと思う。

今の世の中では(今というより今までのほうが正確かもしれない)、音楽やテキストといった著作物はCDや本といったメディアにパッケージされ、複製されプロダクト化することで、多くの人から収益を得る仕組みになっていた。
つまり、小額ではあるものの、多くの人々から収益を得ることで、著作物の対価を得ていた。

でも、これは大昔からこのシステムだったかというと、そんなに大昔ではない。
イタリアのルネサンス時代のメディチ家の時代、日本での徳川将軍の時代では、貴族や武士の特権階級(要は力とお金を握っていた人たち)が、パトロン的に芸術家などの著作者を囲い、保護し、金銭を提供していた。

しかし、市民革命などで特権階級がそれほど突出した力を持てなくなったこと、そして、グーテンベルグによる印刷技術、エジソン(だったっけ?)による蓄音機(レコーディング技術)の発明などにより、著作物を複製することが可能になったこと(そう、この時代に著作物はシェア可能になったのだ!)から著作物は一般庶民も触れることができるものになっていく。
そして、芸術家などの著作者は特権階級のためにではなく、一般庶民のために創作するようになっていく。そう、これがポップアートの出現だ!

そうか、そう考えると、日本なら江戸時代の浮世絵や井原西鶴や近松門左衛門なんかの庶民向けの本を書き、印刷していた頃から著作物は大衆にシェアされ、ポップアート化されていたわけだ。

で、今の時代にまた、著作物のあり方と著作物による収益の得方が変化しつつある。
そう、印刷や録音によってパッケージメディアによるシェアされ出した著作物は、Webによってパッケージメディアからも開放され、さらに加速度的にシェアされ出しているのだ!!!

テーマ:ネット的社会観 - ジャンル:サブカル

【2007/11/06 23:39】 | mucic | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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