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「あたし彼女」~メディアとコンテンツの関係
いま、話題になっている第3回日本ケータイ小説大賞の「あたし彼女」を読みかけている。

これまで、2度ほどケータイ小説と呼ばれるものを読んでみようかと、興味本位に読みかけてみたが、面白さがわからないままにすぐに読みやめてしまっていた。

なのに、「わたし彼女」は第7章ぐらいまで読み終えている。

全部で8章(他にもプロローグやあとがきなどもあるけれど)なので、たぶん、最後まで読むことになると思う。おまけに、はじめこそはお勉強的な感じで義務的な部分もあったけど、今は充分に楽しんで読めている。

実際の作品はこんな感じで書かれている

アタシ



トモの彼女



だからさ



ねぇ



キスしてよ




特徴としては、
●句読点が使われていない
●文章が細かく改行でブツ切りされている
●完全に1人称。「神の視点」的な地の文がない
●1ページの文章量が少ない
●1ページの量がページごとに違う
 (長いページも短いページもある)
などが見られる。

初見で見ると、馬鹿みたいな文章にも見えるかもしれない。
でも、よくよく読んでみると、この文体は携帯電話というメディアで読むには最適な文体なのではないか?と思えてくる。

自分で試したことがないから、あくまでも想像でしかないけど、携帯電話の画面で夏目漱石や村上春樹の小説を読む気になれるだろうか?しかも、1画面に文庫本と同じぐらいの多くの文字数が埋め込まれて読む気になるだろうか?

それに比べて、「あたし彼女」では、場面や気持ちに合わせて、ページが長くなったり短くなったり。
極端な時には1行で1ページになっていることもある。
でも、このページの区切りが主人公の気持ちをうまく表していて、文体にもリズムを与えている。


こうして読んでいて思ったのですが、メディアはそこに掲載されるコンテンツに大きな影響を与える。
逆に言うと、掲載メディアにそぐわない手法(文体)のコンテンツはうまく機能しない。
※これは非常に当たり前なことかもしれないが、すごく大事なことだと思う。

本に書かれる小説と携帯電話に書かれる小説では、文体が変わって当たり前だし、文体が変わっていないとうまく機能しないのだ。
2時間近くの時間を暗闇の大画面で見る映画とCMに挟まれながら毎週1時間ずつお茶の間で見るドラマともストーリーの流し方や画の作り方も変わってくる。


そんなことを考えながら、「あたし彼女」を読めば、いつもの小説とは違う気分で読めるだろうし、新しい発見も出てくると思う。

そして、非常にプライベートなメディアである携帯電話で「あたし彼女」のような文体の小説を読むと、非常に気持ちが入り込む。
40歳前の男が23歳の女性の主人公に感情移入できるのだから、すごいと思う。


そんなわけで、「あたし彼女」オススメです。
読む際は必ず携帯電話でお読みください。
たぶんだけど、文庫本で読んでも「あたし彼女」は面白くもなんともないと思いますよ。


携帯電話で「あたし彼女」を読むには、
検索サイトで「あたし彼女」もしくは「あたし、彼女」を検索すると、見つかると思います。

PCサイトではここで読めるけれど、これはオススメできないです。
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テーマ:ネット的社会観 - ジャンル:サブカル

【2008/09/29 00:28】 | コンテンツ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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