生まれたタイミングでの運不運ってのはあるけど
昨日、姉の誕生日だった。
もう48歳。自分も含めて、いよいよすごい歳になってきたなーと思う。

誕生日だからといって、プレゼントを贈りあうような兄弟でもないんだけど、
いまはLINEなんて便利なものもあるので、「おめでとう!」ってメッセージを
送っておいた。
そこから、いろんな話が続いたんですが、うちの姉が生まれたタイミングは
ラッキーだったよねという話になった。

というのは、うちの姉の学年は丙午(ひのえうま)といって、「丙午生まれの
女性は気性が荒く、夫を殺すこともある」とかい迷信があり、実際に出生率が
下がってるんです。
詳しくはこちらを

で、同学年の子どもの数が少ないから、受験や就職が比較的楽だったりして、
競争意識が希薄なポワ〜んとした人が多いらしいのです。
で、姉自体は丙午ではなく未年なので、よりラッキーと。

で、自分のことも振り返ってみたところ、、、
●高校受験の時に学区制度が新たになり、いきたかった高校にいきにくくなった
●大学受験で一浪して就職活動に入る年にバブルが弾けて就職活動状況が思いっきり変わった
と、けっこう損してるように思います。
とかいっても、20年以上前の話ですが。

とはいえ、生まれ年による外的要因で自分の人生はけっこう影響受けてんだろうなと思います。
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【2015/02/08 12:45】 | 戯れ言 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
アートと普遍性
今日は、千葉市美術館で開催されていた「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」を見に行ってきた。
赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで

先週の10月26日に赤瀬川原平さんが亡くなられたこともあり、千葉市美術館にしてはけっこう混んでました。

昨日見てきたチューリッヒ美術館展では、ドガ、シャガール、ピカソ、ダリなどなどの作品群を西洋画の歴史をなぞるように見てきたのですが、今日の「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」では、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト・写真家でもある赤瀬川原平という前衛美術家の一生をなぞるような内容でした。
作品紹介初期作品紹介後期


作品群は1960〜2000年あたりのもので、すごく時代性を感じる作品群でした。
ただ、前日のチューリッヒ美術館展と比べると(比べるのもおかしな話なのですが)、時代性を感じすぎるというか、時代から切り離すと意味をなさないように感じるものが多かったように思います。

嫁さんから言われてから考えているんですが、嫁さん曰く、「本当の芸術には普遍性がある」らしい。

音楽でいうとモーツァルトなんかのクラシック、絵画でいうとピカソなんかの西洋画にはこの普遍性があるらしい。

確かに、ピカソが描いた「ゲルニカ」はスペインの内戦から切り離されても伝わってくるものがある。

ただ、赤瀬川さんの作品はたかだか30〜50年ほど前のものだし、僕自身が既視感を感じる日本の事象を受けた作品なのに対して、ピカソのスペイン内戦なんて僕にとってはニュースや教科書の中の出来事だ。

そして、僕は時代の流れの中で使い捨てされてしまうのかもしれないけど、その時代時代の文脈の中で活きるサブカルチャーやロックが好きです。
(まとまりそうにないので、強引に完結させてしまいました)
【2014/11/04 02:06】 | 戯れ言 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
個人の体験を保存したり再生したりする権利が主張されるんじゃないかと
たぶんだけど、スマホを超えてウェアラブル端末が一般的になっていくと、「権利」という概念が変わっていくと思う。

これまで権利というと、著作権とか肖像権とかが主で、メーカー側というか発信側の権利を守ろうとしたものが主流だった。
でもね、これからは「自分が見たものへの権利「自分が聴いたものへの権利」など、個人の体験を保存したり再生したりする権利が主張されるようになるんじゃないかと思う。

自分が見た風景、街で見かけた可愛い女の子、耳にしたメロディや声なんかを再生できる状態で保存するようになるように思う。

ただ一方で著作権や肖像権も生き続けるので、個人の体験の保存・再生は、著作権法第30条の
「著作物を個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときには,次に掲げる場合を除き,その使用をする者が複製することができる。」
という範囲内においての限定的な保存・再生になるんだと思う。

そして、この辺りの法律はいろいろ調整が入っていくんだと思うのです。
【2014/11/03 02:37】 | 戯れ言 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美術館でグラス型のウェアラブル端末を導入したりしないかな?
今日、久しぶりに美術館にいってきた。
行ったのは国立新美術館で開催していた「チューリヒ美術館展―印象派からシュルレアリスムまで」

こういう時間の過ごし方もいいなーとゆっくり見させていただいたのですが、気に入った絵を見つけると、スマホで撮影したいなーと思ったりもしました。
もちろん、「撮影禁止」なので撮影はしないけど、ソーシャルメディアやスマホの環境に慣れてしまい、ログ(記録)を残すクセがついてしまってますね。
美味しいものを食べたり、きれいな景色を見た時に写真というか記憶媒体に残したくなるように、絵を見た記憶を媒体に焼き付けたい気持ちが涌いてきました。

GoogleGlassみたいなものが一般的になった時にも美術館での撮影は禁止のままなのかな?
今回は図録を買って帰ったので、絵のイメージは持ち帰れてはいるんだけど、図録だと自分が見ていた時の時間感覚や思いとともに残すことはできないし、検索もデータの持ち歩きもできない。

有料サービスでいいから、グラス型のウェアラブル端末に図録のコンテンツが入っていて、この図録コンテンツに自分なりのテキストやタグを付けて持ち帰れるようなサービスができればいいのに。
さらに欲を言えば、脳波も連動していて、絵を見ていた時のエモーションも持ち帰れて追体験できるといいなー。
【2014/11/03 02:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鈴木さんと佐藤さん
関西にいた時にはそんなに頻繁に遭遇しなかったけど、東京で仕事をするようになってからは、鈴木さんと佐藤さんとの遭遇頻度が半端無くなってきている。

「日本でもっとも多い名字(姓)は鈴木さんと佐藤さんです」ということは知識として小学生ぐらいの頃から知っていた。たしか、「すずきさんとさとうさん」ってスナック菓子もあったし。

でも、関西にいると、鈴木さんと佐藤さんとの遭遇確率は、木村さんや加藤さんや田中さんや山本さんとそんなに変わらなかったような気がする。
小中高の同級生でも鈴木さんと佐藤さんをパッと思い出せないし。

でも、東京で仕事をしだしてからは鈴木さんと佐藤さんとの遭遇率は半端ないですね。
仕事のメールで10人ぐらいのメールアドレスが入っていると、まずは鈴木さんと佐藤さんが入っている。しかも複数名入っていることもけっこうある。

鈴木さんと佐藤さんが多いことにこの歳になってようやく気付いて、同僚の鈴木くんに
「渋谷とかで『鈴木さーん』って声がした時って振り向くの?」と聞いてみたけど、やっぱり聞き覚えのある声でないと振り向かないみたい。

そう考えてみると、たいていの鈴木さんや佐藤さんは何らかのニックネームで呼ばれることが多いもんね。
同級生や同僚から「鈴木さん」「佐藤さん」としか呼ばれていない場合は気をつけた方がいいかもしれない。

だとすると、鈴木さんや佐藤さんが子どもの名前を考える時は、けっこう熟考するんでしょうね。
(まあ、子どもの名前を考える時はたいていの親は熟考するけど)

同姓同名ってそんなに遭遇するものでもないけど、鈴木さんや佐藤さんの場合は油断できないと思うのですよ。
毎年、子どもの名前の人気ランキングみたいなものが発表されるけど、鈴木さんや佐藤さんは人気の名前を付けてしまうと、同姓同名率がグンと上がってしまうし。

そんなことを考えると、鈴木さんなのに、「一郎」という名付けをしたイチローのお父さんのセンスと度胸はスゴイんじゃないかと思います。
【2014/11/03 01:52】 | 戯れ言 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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